2019年6月11日火曜日

元気でいてほしい

妻に対して、子供たちに対して、友人たち、教会の仲間たちに対して、「元気でいてほしい」という願いがあります。そうでない姿を見ると心配したり、心を痛めたりします。

立場が逆であったとしても、この素朴な願いは変わらないと思います。「チャレンジに向き合う中にあっても肯定的な態度を失わない夫、父親であってほしい」妻や子供たちがそういう願い持つことは自然だと思います。それは教会の仲間たちとの関係でも同じだと思います。ぼくの元気な姿をみたいという願いは周囲の人々の愛から出ています。

「元気にしよう!」「元気にふるまわなければ」・・・では、どこかで無理が出てきてしまいます。「重荷をおろして、休んでいいんだよ」「君にも元気でいてほしいんだよ」「もっと楽しんでいいんだよ」「君の天のお父さんももそう願っていらっしゃるんだよ」そういたわりをもって自分自身に語りかけることも大切なのではと思うのです。

私たちは身近な人たちの元気な姿を見たいのです。神を愛し、自分を愛し、周囲の人々を愛し、人生を肯定的に受け止め、人々との関係を楽しみ、チャレンジに勇敢に立ち向かい、のびのびと生きている、そういう姿が見たいのです。

神と人との関係におていもまったく同じことが言えると思います。天の父は子供たちの元気な姿を見たいと願っていらっしゃるのです。

さまざまな問題の中で痛み苦しんでいる人々の住む壊れたこの世界の中にあっても、聖書は神の子どもとされた人々に平安を与えると約束してくださっています。

教会をやっていると人々の痛みや問題と関わることが多いです。こころの問題、人間関係の問題は、どれも簡単に解決の見出せるものではありません。

牧師である自分もいろいろ悩みながら生きています。でも、だからこそ聖書が約束している平安、神の子どもとされた私たちにすでに与えられている平安、その中に日々生きていくことが大切なのではと思っています。

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14:27)